1. 歴史的経緯
コモン・ロー(common law)とは、特にエクイティとの対比で語られる場合、11世紀のノルマン王朝の成立以来、慣習法を基にコモン・ロー裁判所の下で発展してきた法分野を意味する。通常、英米法における法のルールの大半はこのコモン・ローに属する。これに対し、エクイティ(equity)とは、コモン・ローでは救済が与えられないタイプの事件について、正義と衡平の観点から個別具体的な救済を与えて来たエクイティ裁判所が発展させてきたものをいう。ここで、「発展させてきた『もの』」と書いたのは、19世紀から20世紀にかけてコモン・ローとエクイティとが統一されるまでの間、元々エクイティは法とは区別された存在であったためである。この「エクイティは元々法ではなかった」という理解は、エクイティに由来する法制度を理解する上で重要である。
ところで、なぜコモン・ロー裁判所とは別にエクイティ裁判所が置かれることになったのか。これは、コモン・ローが様式や形式を重視し、硬直的な法運用を行っていたことによる。たとえば、replevin(元来は違法に占有侵奪された動産を回復するための訴訟)、detinue(元来は適法に開始された占有が後に不法なものになった動産を取り戻すために用いられた訴訟)などの用語は元々コモン・ローの訴訟形式あるいは訴訟に用いる令状(writ)の形式に由来するが、コモン・ローにおいては請求する者がこれらを正しく選択しなければならず、またコモン・ローの要求を満たすことができなければ請求は認められなかった。(契約の成立要件の一つである consideration も、元々はコモン・ロー上の請求が認められるための要件の一つであった。)そのため、救済の必要があるにもかかわらず、厳格な要件を満たすことができないがために救済が与えられないケースが発生した。こうしたケースに救済を与えるために登場したのがエクイティ裁判所であった。エクイティ裁判所は成り立ちがこのような経緯によるため、コモン・ローとは当然その性質を異にすることになる。コモン・ローが厳格な法運用を是としていたのに対し、エクイティは個別の事情に鑑み、その事案限りで衡平な救済を図る、ということに重点を置いて発展することになった。
もっとも、二元的な司法制度は決してわかりやすく効率的なものとは言えないものであるのみならず、エクイティは「大法官(裁判官)の足の長さによって結論が異なる」と揶揄されたりもした。そのため、イギリスでは1873年に正式にコモン・ローとエクイティの区別を廃止した。アメリカでは元々イギリスのような厳密なコモン・ローとエクイティの区別を継受していなかったが、州によってはその名残を継受していたところ、1938年までに正式にこれらの区別を廃止した。
2. 現在におけるコモン・ローとエクイティの違い
それでは、なぜ今日においてもコモン・ローとエクイティの違いの理解が重要なのか。一つには、制度として両者の違いが残っている場面があるため、もう一つは、今日のアメリカ法の法制度のうち、エクイティに由来し、そのためエクイティの性質や思考様式を引き継いでいるものが少なからずあるためである。以下に述べる(1)〜(5)のうち、(1)(2)(3)は前者に関係するもの、(4)(5)は後者に関係するものである。
(1) 陪審制度の有無
合衆国憲法修正第7条は、以下のとおり陪審による裁判を受ける権利を保障している。
"In Suits at common law, ... the right of trial by jury shall be preserved, and no fact tried by a jury, shall be otherwise re-examined in any Court of the United States, than according to the rules of the common law."
下線を付したとおりこの権利はコモン・ローにおける場合に限られているため、エクイティの領域での裁判(具体的には差止めを求める裁判など)の場合には、陪審は利用されない。
(2) 管轄裁判所および裁判手続の違い
コモン・ロー裁判所とエクイティ裁判所の区別が正式には廃止されているのは前述のとおりだが、州によっては、両者の区別に由来する裁判所の制度を有しているところがあり、どちらに由来する裁判所であるのかによって多少の手続きの違いがあったりするらしい。たとえば、イリノイ州クック郡の Chancery Devision は元々エクイティ裁判所に由来する裁判所のようであり、扱う事件の種類を見ても歴史的にエクイティの領域とされてきたものが多い。(Chancery Devision の紹介パンフレットを見ると、「The Chancery Division hears matters of equity filed under the following categories …」と書かれている。)
(3) 救済方法(remedies)における違い
コモン・ローにおける救済方法は原則として金銭の支払いに限定されていたのに対し、エクイティにおける救済方法はそれに限定されていなかった。そのため、現在においてもたとえば差止請求などはエクイティ上の請求と位置づけられ、以下(4)(5)に述べる議論があてはまることになる。
(4) エクイティにだけ適用されるルールの存在
もともとエクイティは法ではなかった。しかし、その判断が集積するうちに、いくつもの格言(maxim)がいわばルールとして形成されるに至った。そのうちの特に重要なものを挙げると次のとおりである。
"Equity follows the law." 「エクイティは法(ここではコモン・ローのこと)に従う。」
ー 言い換えれば、コモン・ロー上の救済が得られる場合にはエクイティは救済を与えない、というルール。現在でも、特定履行(specific performance)を求める場合には、コモン・ロー上の救済が不十分であること(たとえば、契約不履行の場合には金銭賠償では不十分であること)の立証が必要となる。
"He who comes into equity must come with clean hands." 「エクイティ上の救済を求める者は潔白でなければならない。」
ー 救済を求める者は、自らが信義にもとる行いをしていてはならないとする原則。日本でも「クリーン・ハンズの原則」として知られ、不法原因給付の文脈で語られることがある。また、エストッペル(禁反言の原則:矛盾した挙動をする者には救済を与えないとする原則)もここから導かれる。
"Equity aids the vigilant and diligent." 「エクイティは注意深く勤勉な者を助ける。」
ー エクイティにも「laches」と呼ばれる消滅時効と同様の制度がある。
こうしたルールが、エクイティに由来する法制度には適用されることがある。最も著名な例は、上にも述べた契約不履行に対する特定履行の請求の場合である。日本法においては、債権には当然に履行請求権が備わっているとされていることから、これを裁判上求めることも妨げられず、損害賠償請求に劣後することもない(民法414条1項参照)。しかし、アメリカ法においては、元々コモン・ロー上は原則として金銭賠償だけが可能であり、履行請求はエクイティ上の特定履行の請求とされていたことから、金銭賠償では救済が不十分であることの証明が必要となる。近時はこの一種の補充性が緩やかに解されているとの指摘もあるが、その区別自体が全くなくなっているわけではない。そのため、契約書では「当事者は、この契約の違反が金銭では償い切れない性質のものであることを理解し…」といった文言が記載されることも珍しくない。
(5) 裁判所の判断方法における違い
エクイティの特徴を理解しておくべきことの理由の一つとして、エクイティの判断方法とコモン・ローの判断方法が異なることも挙げることができる。普通、ある事象について法的に論じようとする場合には、法的三段論法を用いる。法規範(大前提)をまず述べ、事実関係の重要な要素を指摘して(小前提)、あてはめをして演繹的に結論を導く、というのがそれである。コモン・ローの裁判例はおおむねこうした論法を取る。ところが、エクイティの(あるいはエクイティ的な判断を行っている)裁判例となると、必ずしもそのとおりではないことがある。とにかく事実関係に注目し、抽象的な規範を述べることなく、衡平であるかどうかの価値判断のみを加え結論を導く、といった論法を取るものが少なくない。法的三段論法の思考に慣れた者からすると、何がルールであるのか判然とせず、非常にわかりにくいといった印象を受ける。しかし、これこそがエクイティ的な判断方法であり、このような裁判例に出会ったときには「あぁそうか、エクイティか。」と理解しておく必要がある。
Jensen v. Probert, 174 Or. 143, 148 P.2d 248 (1944) は、このような判断方法を採った典型例の一つである。事案はやや複雑だが、この事案では、土地の真の権利者が George Jensen (原告)であったところ、その氏名を冒用した全くの無権利者 "George Jensen"(別人)がこの土地を Hollis Vick に"譲渡"し、Vick はさらに土地の一部を Henman へ、残りの一部を Samuel H. Probert (被告)へと譲渡した。被告 Probert はその土地上に建物を建造した。これに気付いた原告 Jensen が被告 Probert を相手取り、(日本風に言うと)建物収去および土地明渡しを求めたという事案である。なお、譲渡を受けた Vick, Henman, Probert はいずれも good faith (善意)と認定されている。コモン・ローのルールでは、譲受人の主観如何にかかわらず、真の権利者は何らの支払いを負担することなく建物収去と土地明渡しを求められることになっている。しかしながら、それでは善意で土地を購入し建物を建てた被告にとってあまりに過酷な結論となってしまう。この事案で最終的には裁判所は建物収去と土地明渡しを認めるのだが、その結論に至る過程で裁判所は「仮に建物収去を認めたとしても Probert は譲渡人 Vick に契約責任を追及できる」等様々な個別事情を考慮してエクイティ的な判断を行っている点が興味深い。一方で、なぜ Probert に対する建物収去土地明渡しがその過酷な結論にかかわらず正当化できるのか、一般的な規範を定立して論じられているわけではないので、一見すると何が判示事項なのかわかりづらく感じられる。
3. 余談
全くの余談になるが、アメリカのCBS系列のTV番組で「Judge Judy」という長寿の裁判番組がある。日本の裁判ものの番組と異なり、現実の紛争を抱えた当事者が解決を求めて Judge Judy の下へ出頭するという設定で、裁判所によく似せたセットの中で Judge Judy による裁きがなされる。Judge Judy が時に大岡裁き的な判断を下すのが痛快で、この点がこの番組が人気のある所以であろうかと思う。さて、上記の話題との関係で面白いのは、Judge Judy がよく「ここは court of equity であって…」と語る点である。つまり、自らは必ずしも法のルールに従った判断をするわけではなく、当事者の衡平を実現するための判断をするのだ、と宣言しているのである。Judge Judy はもともと本物の裁判官だったそうなので、当然ながらそのことの意味をよく理解して述べているのであろう。ちなみに、この"裁判"は当事者があらかじめ「Judge Judy の判断に拘束される」ことを同意して行われているそうなので、法的にも本物の仲裁として行われており、出演者の当事者も真剣そのものである。

